過去のブログ(独り言)

2004年6月21日 (月)

菩提樹

日本に大きい台風が来ているようである。フランスには台風は来ないので僕は日頃この台風と言う言葉さえも忘れて過ごしている。そして夏に日本へ帰って次から次へと生まれてやってくる台風にいつも驚く事になる。フランスでは仕事で地方に行かなければならない時当日ストで電車や飛行機が止まらないか常に気をつけているが日本へこの時期に帰ると台風で新幹線が止まってしまわないかと常に天気予報に耳を傾けなくてはならない。現に2年ほど前に名古屋で生番組の出演が決まっていて当日の朝京都から出る予定が台風のせいで大雨になり床上浸水でもちろん全ての電車は止まってしまい僕も現場には行く事が出来ずはじめて仕事に穴をあけてしまったことがある。日本の台風情報を耳にはさみ<あーまたそんな季節がやって来たんか!>と思っているところである。どこの地方にも大きな被害が無い事を祈っている。フランスのこの頃は快適な気温と気候の毎日で一年で一番気持ちのいい日々を過ごしている。今日は久しぶりに旧中央市場、レアール界隈に行った。イノサンの泉の周りには20年で大きくなった菩提樹が若い美しい緑の葉を一杯茂らせて昼下がりの陽の光にきらきらと輝いていた。黄色い小さい花が咲き始め辺り一面芳香が漂っていた。この花を摘んでお茶にするととてもいい香りがするのだが摘んでいる人を未だかってパリでは一度も見た事が無い。
明日はフェット・ド・ラミュージック。音楽の日。
夏休み前の夏至の一日を音楽漬けになって過ごす日で15年ほど前に文化庁が作ったこの日もすっかり人々の間に定着してしまった。明日は朝から夜中迄至る所で、街の中でも道路の真ん中でも有名人もアマチアも老いも若きも誰でも何処でも歌ってもよし楽器の演奏もよし音楽の喜びを感じ,それとともに皆が過ごす日である。素晴らしいミュージシャンや歌手のコンサートの数々も無料である。(コンサート会場での催しは別)もちろんフランス全土がである。菩提樹の木の下で柔らかい花の香り包まれてショスタコヴィッチの弦楽四重奏でも聞きにいこうかな。。。

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2004年6月20日 (日)

アンヌの結婚式

僕がフランスで住みだしてしばらくしてから生まれた女の子が結婚するという通知が届いた。彼女の家族はパリ郊外に住んでいて僕の友人である彼女の父親は外交官でほとんど外国での任務が多いのでこの頃ほとんど会う事がなくなったのでその結婚の本人のアンヌにも長く会っていない。最後に会った時は高校生だったかも。その彼女が結婚する。こんな事があると急に自分を振り返り特に日頃忘れている歳などが思い出されて嫌なため息が出てくる。まあ致し方のない事なのだがふとため息が出る。7月3日の結婚式は多くのフランス人同様教会で行われる。フランスでの一番法的に重要な結婚式はそれぞれが住んでいる街の市役所での結婚式である。何処の市役所にも結婚式会場と言うものがありそこで市長が簡素な言葉で結婚式を行う。これがいわゆるフランスでの結婚式で出席者は立会人初めごく身内だけが出席する。アメリカ映画などでご覧になった方も多くおられると思う。それだけで済ます人たちも多いしそのあといわゆるパーティを催して友人たち大勢が集まり飲んで,食べて、踊って朝迄というのがまた一般的なタイプでもある。僕もパーティがお開きになったのが朝の4時というケースも何度か経験している。こんな時はメイン料理が出てくるのが夜中の12時すぎになる。3番目のケースは市役所の結婚式のあと教会に移りいわゆる教会結婚もしてそのあとパーティをするというケースである。これがアンヌの結婚式だそうだ。きっとここの家は朝の4時迄は踊らないような気がしているのだが。日本では結婚式に招待される人は選ばれた人達でほとんどの場合大きなホテルで豪華な食事が出てくる。こんな豪華なパーティに呼ばれるにはそれなりの関所札にに匹敵するようなお祝い金が必要となるがフランスには冠婚葬祭にお金は持っていかない。でもお祝いはフランス人もする。結婚する二人は百貨店やお気に入りの店でマリアジュ・リストというものを作ってもらう。このリストには二人が選んだその店で買える品物の金額と商品内容が明記している。お祝いを贈る人たちは二人からその店の所在地を尋ねそこに出かけて二人の名前のリストをもらって帰り自分たち枠内の金額の中から気に入った品物が選べるシステムである。リストは毎日更新されるので現在残っている品物が何であるか一目で分かるようになっている。リストを持って帰ってから忘れていたり選択に時間がかかれば
申し込んだ時点でその商品はもう無という事もあり得る。今思い出したが日本でも最近このシステムを導入しているところもあるがこれはまた日本独特のお返しに対してである。そういう僕もこのリストをもらってもう4日経つ。早くしなければ選んだものが無くなっているかもしれない。食卓ナイフセットなのだが日本ならばきっとこの家族とはこれ以後のご縁は一切切れて終わりであろう。

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2004年6月17日 (木)

ピーナツ・バター

先ほどフランス人の友人がピーナツバターをもって来てくれた。なぜかと言うとまだ依然咳が続いていて食欲が落ちて味覚もおかしくなったと言っていたら,ピーナツバターは栄養満点カロリー一杯だから絶対いいので食べなさいと持って来てくれた。小さいときよくピーナツバターを食べた,こんがり焼いたトーストにたっぷり塗って。その思い出があるので今日を楽しみにしていた。彼女は2種類の瓶をもってきてくれたので早速そのうちの一つを開けて食べた。僕の知っているピーナツバターとはちょっと感じが違っていてどちらかと言うときな粉を水で溶いたような舌触りがある。味も少し塩辛くて幼い時の思い出は少なくともこの味にはない。それでも一応ピーナツバターの味はかすかにするので喜んで食べた。とにかく目的は体重が落ちないようにするためでグルメ感覚はこの際差し控えなければいけない。
彼女はこれが大好きで1度はひとたび口にするとやめられなくて結局一瓶まるごと
一度に食べてしまい暫く胃の調子が悪かったと言っていた。そらそうでしょう。こんな結構大きい瓶を一瓶丸ごとなんて考えただけでも気分が悪くなりそうである。
僕は始めて食べるものに好き嫌いを感じている。何でもというかおいしいものはなんでも大好きで実際食材の名前を聞いただけで拒否反応を示すものは何もなかったのにこの咳のおかげで複雑な薬を飲み過ぎたせいか味覚障害が出てそのものの味がわからなくなり口の中でとんでもない味に変わるので怖くて何でも以前のように口に出来ない。そんなわけで食欲不振になっていると知った彼女は心配して色んなものを持参してくれる。来週はピエド・コッション(豚足のフライを)持ってくると言っているが,ゼラチンばかりでほとんど肉も少ない脂の化身のようなこればっかりは元気な時でもちょっと敬遠するのでこんな状態の時はとても。。と思い切って言ったら<何を言ってるの!まるまる太った豚のようにならなければ!>と言って聞かない。何も僕は豚のようになりたいとは1度も言ってないし1度も思った事もないのに!かくも太るという事は大変な作業なのである。

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2004年6月16日 (水)

吉村伊十郎

僕は時折思い出したように邦楽が聞きたくなる。清元が好きなのでパリで清元志津太夫さんを聞いた時は心底から感激した。今でも機会があれば清元を習いたいと思っているがパリに住んでいたのではどうにもならない。こんな理由で他の日本伝統芸術も残念ながら身体で知り得る機会を得ずさみしい思いをいつも心のどこかに持っている。長唄に関しては神業のように日本舞踊がうまかった母が踊っていた演題とともに小さい頃から随分色んな曲を覚えるともなく覚えてしまった。その中でも大好きなものの一つが長唄の<老松>である。母の時代にはもちろんCDはなく家にあったLPもなくしてしまい寂しい思いをしていたときに見つけたこのCDは僕の大切なCDになっている。
清元や常磐津の<老松>同様主題は謡曲から取られているがこの長唄の<老松>は老松と菅公の飛び梅に寄せてお祝いの言葉が述べまとめてある。文政3年杵屋六三郎がおどり地のために作曲したものであるが踊り同様に随所にきりっとした上品と気品が漂っていて特に導入部分などは聞く度に背筋がすーと伸びてしまう。この先代の吉村伊十郎さんの声は深く艶がありほれぼれと聞いてしまう。何を歌われてもその詩の深い解釈となんともいえない色気を含んだ素晴らしい表現で作品はいつも僕にとって上質な芸術作品になっている。この老松を聞く度に日本語の美しさとこれを踊った時の母の素晴らしさとを同時に味わい,思い出し、なんとも言われぬ僕だけの世界に入りこませてくれる至宝のCDである。

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2004年6月15日 (火)

パリのラーメン

今日久しぶりに用事が出来てオペラ座の近くまで出かけた折その近くにある通称日本レストラン通りと言われるサンターヌ通りを通った。ここには本当に百メートル位の通りの両側に日本料理店とうどん屋,ラーメン屋、いくつかの日本食糧品店が軒を並べている。ここにある日本料理店は時々僕が書いているあのあやしい中国系日本レストランとは違いラーメン屋も皆日本人経営の日本の店であるので普通に日本食が食べられる。高いけれど。そのサンターヌ通りを通ったら久しぶりにラーメンが食べたくなって古くからあるラーメン屋に入った。僕のように2年に1度くらいしか行かない最悪のお客なのにそこのご主人は僕の事を覚えていて下さり僕の席までわざわざ来て下さった。ご主人いわくここ数年でフランス人のお客の数が3倍になった。でも、と付け加えられて、<べつに構わないんですけれどフランス人はラーメンをスープ感覚で食べるのでスープ同様具は一番後回しでまずスープを飲む事になる。これがいかんのですねえ>と残念そうに仰った。<そうすると麺は見る間にのびていくじゃないですか。その上おしゃべりだからしゃべりながら食べるもんですからよけいに長く時間がかかってしまいます。彼らがいざ麺に取りかかる頃には麺はべチャベチャにのびてしまっている。もう私らには見るに忍びないんですよ。なんとかこれは直してほしいので出来るだけいやがられても言うようにしてるんですけどねえ。そう簡単に文化は変わりませんわ!>と仰るのを聞いているうちは僕も口に麺を入れられなくて、<それではごゆっくり!>とご主人が席を立たれたときには僕のラーメンの麺は汁を一杯吸ってべちゃべちゃ寸前になっていた。

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2004年6月14日 (月)

6月の憂鬱

今日の日本のネット新聞にフランスの母親は子供に毎日今日試験何点だったと聞いて良ければ褒美をあたえ悪ければ罰として例えば食事を抜く、これは母親だけではなく父親もかなり同じような傾向があるとでていたが、僕の知る限り試験の点数を聞くだけならまだいいが自分の子どもの習っている学科ごとのページと内容まで全て把握している親が少なくない印象を受けている。これもフランスの教育システムを考えると少なからず仕方のない事で日本以上に子供たちは学校では点数でのみで存在していると思えて仕方がない。ナポレオン時代に確立されたエリート育成の教育システムが今でも生きており学校ではとにかく優秀な子供に全て焦点が合わされていく。日本人の感覚なら良く出来る子はほっておいても出来るのだから出来ない子を落とさないように授業が進められるところが出来ない子は容赦なく切り捨てられていく。そこには学校の評判と高度な進学率を保つために。その中で子供たちも否応無しに競争心という(ほとんどの場合さみしい心)を養っていく。こんな中では親も多かれ少なかれ関わらざるを得なくなってくる。ある種の戦争中の精神状態に似たものがあるように感じられる。こんな教育社会の中で子供たちと親にとって6月はストレスの多いともすれば鬼門の月である。フランスでは毎学期の終わりにはクラス成績評議会という会議が全科目の担当教師と担任教師それに校長、クラス委員の生徒が二人と父兄代表委員が二人集まって行われる。一人一人の生徒の成績を科目順にそれぞれの担当の教師がその場で発表して進級可能かどうかが協議される、その際その生徒の性格などに言及される事はほとんどなく点数のみが対象となる。生徒代表と父兄代表はそれらの評議に異議を申し立てることが出来るが僕の知る限りその異議が通ることはまれである。1学期,2学期は落第の可能性があってもあくまでも可能性で留まるが3学期には進学か落第かの最終判決が下される,それが6月である。これが小学校1年から高校まで続くわけでよほど優秀な生徒以外は子供にも親に取ってもストレス一杯の夏休み前の時期を過ごさなければならない事になる。このシステムの最後のとどめは1808年に作られた約200年の歴史を持つBACCALAUREAT,バカロレアとよばれる大学入試資格の試験でありまさしく今その時期それが始まった週であり高校3年生で一般バカロレアの取得を目指す生徒には地獄の1週間となる。1科目4時間の試験が1日2科目、毎日8時間を5日間というすざましい日々をおくる子供たちと一緒にやはり親も不安とストレスに浸かった日々をまさにいま過ごしている事だろう。

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2004年6月13日 (日)

ルイ17世

数日前にパリ郊外のサンドニ市にあるサンドニ聖堂でルイ17世の心臓を葬る儀式が行われた。ルイ17世はルイ16世とマリー・アントワネットの二男として生まれたが1789年に起こったフランス革命で両親姉とともに捕らえられパリのタンプルの塔に幽閉された。1793年父ルイ16世の処刑の後引き続きタンプル塔に入れられたまま国民公会の命令によりジャコバン派の靴屋シモンの手にゆだねられ虐待の末恐ろしくひどい環境の中で病死した。1795年やっと10歳になった年である。彼の死後遺体は解剖士に引き取られ心臓が取り除かれどのような経路をたどってか今日まであちこちさまよいながら保存されて来た。その間200年もの間には実は塔で病死はせずある者に助けられ生き延びたという説が色んなところにあって17世の末裔が後を絶たたず僕も含めて多くが空想の中で色んな仮説を考えだしてこの薄幸の少年にわずかな幸せを見いだそうとした。でも2000年このアルコール漬けの心臓とわずかに残された頭髪でDNA鑑定がなされた結果母親のマリー・アントワネットらの遺髪と一致し親族関係が確認され病死説が裏付けされた。そして2世紀経った今日歴代のブルボン王家が安置されているサンドニ聖堂にルイ17世少年の心臓は安置された。

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2004年6月 4日 (金)

寿司バー

パリでは日本食ブームが続いている事は以前にも書いた。日本食と言っても主にすしブームであるがこの頃では駅の売店にもスーパーマーケットにもすしのテークアウトのコーナーが出来ているのでその浸透性はお察しいただけると思う。今日は面白い<すしバーにお目にかかった>回転すしバーなのだがとびきりセンスよく作られた内装、回転しているのはもちろんすしだけではなく食事の後はチーズ、デザートで必ず締めくくるフランス人用にタルトやヨーグルト、チョコレートムース(うん〜〜〜〜おいしそう!)から幾種類ものチーズまでが回転している。でもこの店の特殊性はもちろんそれではなくカウンターに一種の電光掲示板+コンピューターのような物が備え付けてあり食べながら、回転している物を物色しつつ同時にカウターに腰をかけている独り者を物色して、気に入った人が見つかるとその人にメーッセージを送れるシステムになっている。もちろんメッセージを受け取った人は誰から来たか一目で分かり即返事を相手に返す事が出来る。<今晩,この後飲みに行かない?><いいけど>という具合である。ちょっと説明不足を補っておくと日本では(僕の知る限り)回転寿しなる物は家族で行くか友達と何人かで行くかあるいは会社帰りの独り者がまあどちらかと言えば安いから入るというイメージがある。ここパリでは中国系のけっこういい加減な、僕たち日本人は(少なくとも僕や結構水準の高い日本通のフランス人の友人たちは)決して入らない獄安日本レストラン以外は日本食はカルチャーでスノッブの傾向がある。だから上記のような回転寿しにはおしゃれをしたスノッブ連中の独り者がナンパをかねて行くところにもなってる。たこを食べているときに<今夜暇?>といけすかんにいちゃんからメーセージが届いたら<ふん!すかんたこ!>と返したらフランス人にはわかるかしら?

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2004年6月 2日 (水)

パブロ・カザルス

20世紀初頭から半ばにかけて素晴らしい演奏を残した僕の敬愛するスペインのチェロリスト、パブロ・カザルスのドキュメントを見た。神童とはまさしくこのような人の事をいうのであろう。カザルスは生涯をチェロと音楽に捧げると共に彼の生まれ故郷カタローニュ地方のスペインからの独立を望み一生涯その運動にも精力を費やした。特にフランコの独裁に反対して死ぬまで音楽を通じて自由とデモクラシーを叫んだ態度は崇高な物さえ感じる。亡くなる少し前にアメリカに招かれて演奏をした際のフィルムがあった。ゆっくりと立ち上がりマイクを持って話し始めた。<私の故郷カタローニヤは今はスペインの地方都市にすぎません。でも昔この町は世界で一番素晴らしく、美しい町でした。これから短い曲を一曲演奏します。<鳥の歌>というカタローニャ地方に伝わる民謡です。空の上高く鳥たちが飛んでいる。<平和><平和>と叫んで。彼らの歌は素晴らしい音楽です。バッハやベートーベン、偉大な音楽家が皆敬愛したであろう音楽です。とても純粋な音楽です。私の国の魂です。カタローニャという国の>
カザルスは引き始めた。涙が止まらない。素晴らしい音楽がなんと身体の隅々まで洗ってくれるのだろう。パブロ・カザルスは1973年93歳の生涯を終えた。

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2004年6月 1日 (火)

アズナブールとサルバドール

何日か前にテレビで80歳になったアズナブールの誕生祝いの番組をやっていた。この種のよくある物で誕生日を祝う歌手を囲んで大勢の歌手が出演し誕生日を祝う歌手の持ち歌を歌うというものである。その夜もアズナブールを囲んでジョニー・アリディ、ララ・ファビヤン、フロラン・ファニー、ダニー・ブリヤン、リアーヌ・フォリーにバラエティ番組の視聴率稼ぎに欠かせないスターアカデミーの面々など3時間にわたる番組に大勢が出演しそれぞれがアズナブールのヒット曲を歌った。もちろんフランスでは他人の歌を歌う場合必ず自分のオリジナリティに似合ったアレンジを施し原曲とはひと味もふた味も違った歌として歌われる事がほとんどなのでその日もそれぞれの歌手がそれぞれのアレンジで歌っていた。番組の中でアズナブール自身も何曲か歌ったがあれだけ大勢のそれも若い歌い手の中で一番はやはりアズナブールだった。声があり、歌に深みがあり、淡々とこころに沁み入ってくる。80歳立派なものである。もちろん彼の歌を聴いている間年の事は全く感じない。アズナブールは特別に興味のある歌手ではないが一人の歌い手の生き様を見せてくれるそんな意味ではみごとな年齢である。ピアノに寄りかからなければ歌えない、それもそこまでして歌うような歌でない物を命の躍動が無くなって歌っている人に拍手を送る国の歴史では無いのかもしれない。そのアズナブールの誕生パーティから2日経って今度はアンリ・サルバトールをやはりテレビで見た。僕は好きな歌手である。87歳、素晴らしい,その夜彼は生で空中回転を4回もしてにこっとこちらを向いて微笑んだ。年が素晴らしいというよりこの年まで躍動を持ち続けている事が素晴らしい、しょうもないバラエティ番組で年を売り物にしてお茶を濁しているような人が多い国にはない、素晴らしい音楽が飛ぶようにステージにあふれている。うらやましい!30歳をうらやましく思わず80歳をうらやましいと思う。まだ僕にはもうしばらくあるのがちょっとうとましい。

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