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2014年5月

2014年5月16日 (金)

デユポン エ デユポン パリへ行く

僕と溝淵仁啓は4月末からパリにいる。

二人で作ったユニット デユポン エ デユポンのCD第一章
のレコーデイングのためにパリに帰った。
言い方がややこしい。
僕は”帰った” になるが溝淵さんは”行った”と言う。
それはともかく、僕たちはパリでレコーデイングを行った。
僕の日本初のCD恋の病の時、ミュージックデイレクターを
努めてくれたフランソワ・ロゼの監督のもとで、
同じく恋の病でギターを弾いてくれたルシアン・ゼラッド
がレコーデイングエンジニアとして卓を握って
録音された。
面白いことに僕はいつもパリへ戻ると
一度も日本で住んだことが無いように
身体ごとすっぽりとパリに戻ってしまう。
もちろん家もあり税金も払ってるれっきとした
パリの住人なのだが、
誰かに ”ワサブローさん、日本に帰ったり、
日本で歌ったなんて、みんな嘘で、
夢見はっただけやと思うわ” と言われたら、
あーそうですか、そうやね、やっぱり夢見てたんやね
と本気で思い込んでしまうくらいパリは身体から離れない。
きっとそれだけ青春を過ごした街は
身体にすべての時間をしみ込ませて一生消えないのかもしれない。
まさしく アーネスト・ヘミングウエイが”移動祝祭日”の中で
書いている ”もし 君が、幸運にも青春時代にパリに住んだとすれば、
君が残りの人生をどこで過ごそうとも、それは君についてまわる。
なぜならば、パリは移動祝祭日だからだ”(高見浩 訳)
そうであれば、僕はヘミングウエイの言う幸運者の一人
と言うことになる。
確かに幼少年時代をどっぷり京都で過ごしたにも
かかわらず、それらの日々は思い出の彼岸の向こうに
靄って見えているが青春時代は色鮮やかに
目の前にいつでも蘇ってくる。
話が横道にそれてしまったが、
そんなパリでレコーディングをした。
もちろんパリでのレコーデイングは初めてではない。
今手に入る5枚の僕のCDのうち1枚は全曲パリで
録音し、もう一枚は半分をパリでもう半分は
ベルギーのブラッセルで録った。
でも今回のこのレコーデイングは今までのどのCD
とも違っている。
奏者は僕と溝淵仁啓二人しかいない。
ギターと歌の完全なデユオで
それもすべて同時録音にした。
1_3
同時と言う意味がお分かりにならない方もおられると
思うので、ちょっと説明をしておくと、
録音に際しては楽器の数だけチャンネルを分けて
歌とは別録りをして出来上がったカラオケの上に
歌を被せて録る場合がほとんどで、
楽器と一緒に録ることはまれである。
一緒に録ると誰かが間違えば最初からまたすべて
やり直さねばならない。
結構リスクの多い録り方なのでワンテイクで録れるほど
余程自信のある方か
予算に糸目が無い場合のみと言うことになる。
今回の僕たちは少しの自信はあっても
余程の自信というものはなく、何よりも
予算に大小の糸目が毛細血管のように
張り巡らせてあるので
普通ならば今回のレコーデイングは
先にギターを録りその上に声をのせる
作業になるはずだが僕たちの音楽は
二人で一人、究極の弾き語りを目指している、
のでコンサートのように弾き、歌うことになる。
時の流れに
聞かせて下さい愛の言葉を
朝と夜
サンチマン
ユカリ
僕たちの恋が残したもの
など10曲を録り終えた。
今回のスペシャルバージョンは
サンチマンと僕たちの恋が残したもの
は僕の親友のフランソワロゼとデユエットです。
朝と夜は僕の歌にフランソワの詩の朗読が入ってます。
そして一番のスペシャルはなんと!秋(矢川澄子詩、
矢野顕子曲)の中では一節溝淵さんとハモっています。
乞うご期待!
2_4
今秋にはCDにして皆さんに聴いていただける
と思います。
終わってほっとして今日は一日オルセー美術館
で好きな絵を見て溝淵さんと一緒に過ごしました。
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