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2009年10月12日 (月)

新しいアルバムの歌4 コスモス

新しいアルバムの発売を待ちながら収録曲を
1曲づつライナーノートに書けなかった事を
含めてCDを手にして頂かない方にも読んでいた
だけたらと思い書く事にして3曲まで書いて
コンンサートの本番やリハーサル、そのCDの
ライナーノートに時間を取られて中断してしまっていた。
アルバムは10月28日に発売されるので
あわてて続きを書いている。

アルバムの4曲目は秋桜と書けば
日本の方の多くはおわかりになるだろう。
さだまさしが書いて山口百恵が歌い大ヒットとなった
コスモス〜秋桜である。
と言っても僕はもうそのころフランスにいたので
山口百恵の歌は聴いた事が無い。さだまさしのコスモスは
フランスに桂三枝さんが持って来て下さったLP
に入っていたのでよく知っている。

ご存知の様にこの歌は嫁いで行く娘を送る母親と
家を出る娘の心の揺れを歌っている。
映画の1シーンのような光景が歌われている。
小津の映画の1場面のような趣がある。
僕はこの歌をこのアルバムではフランス語で
歌いたいと思った。

なぜさださんの美しい日本語詩があるのにわざわざ
フランス語かと言うと、日本ではシャンソンと言えば
ほとんどみんな日本語で歌っている。
若い時はおっさんなどが僕に<あんた、シャンソンは
日本語で歌うもんだよ、なんでフランス語で歌うの?>
この言葉を聞く度に、本当に嫌になるほど日本に帰って
来る度に、いじめと思える程に言われて、もう日本には
帰って歌わない!と何度も思った。

僕が不思議だったのは<日本人のあんたが>と日本人が
つくのならわかるが、そうではなくて<シャンソンは>
と言うのが、不思議で、ほな、フランス人はどうするんや!
と何度も言い返したくなったほど。
それがここ数年来誰もそんな事言わなくなった。
<さすがに日本でもシャンソンも音楽として扱われる
ようになったんや!>と思ったがこれは間違いで
単に僕が年を取って、昔僕に向かって
<あんた!シャンソンはな!>と言っていたおっさんの年に
僕がなり、こんなおっさんに向かって誰も言わなくなった
というか僕に言っていた人達はみないなくなり若い人は
僕に向かって言わなくなっただけだろうと思う。
その証拠にまだ音楽性を無視した見世物小屋から
現れそうな人が歌う原曲がフランスの歌も<シャンソン>
だから、こういうものという事でおおいにまかり
通っているのにまだ出くわす事が多いので。

ちょっと余談になったが
僕が30年フランスにいて一度も聞いた事も無い歌までも
日本語になって歌っている人がいる、ので
ほな、反対はどうやろかと思った。
日本語の歌をフランス語にして歌ったら
フランス人が<あんた日本の歌は日本語で歌わんと!>
というかどうか知りたいと思ったのが原因ではないが
これもありやろとやってみたいと思った。

それでまず原曲をフランス語に訳してみたが
何だかしっくり行かない。

日本語の歌詞が描き出しているものは情景であって
その一つ一つに、たとえサイズが
同じであっても、別のマテリアルすなわちフランス語を
入れ込んでもその景色は再現不可能なきわめて日本人的な
心象表現である。
この歌に使われている、日本人の心のひだに沁み入ってくる
言葉はフランス語になると途端に幽霊の様にふらふらと
あたりをさまようだけで何も訴えかけては来ない。

歌は絵や映画や小説などの芸術表現とは違って
聞いている音の波動や言葉一つ、一つが瞬時に
聞いている人の感情膜の様なものを揺さぶり、
その人の好きな色に染められながら映像あるいは
画像となって目の前に広がり、体全体に沁み渡って行く。
それはその人の生きてきた世界、使われる言語など
その人個人の文化と大きく関わっている。

ちょっと話が横に逸れてしまったが、その秋桜
で言うならばまず最初の<薄紅のコスモスが秋の日の
何気ない陽だまりに咲いている>この一行に
フランスと日本の大きな文化の違いがある。
この1行で日本人は秋の柔らかい日を感じ、
揺れているコスモスの花に優しさを感じ、
そしてその花の色<薄紅>という言葉に
古風な色気を感じてしまうに違いない。

フランス語では今僕が書いた3つの感覚を
この3行では何もと言って良い程表し得ない。
まず題名から問題が生じる。
秋桜と書いてコスモスと読む。
これが日本の漢字の文化で世界中何処にも存在しない。
中国では秋桜と書いてコスモスとは読まないだろう。
フランス語で秋の櫻と書くと秋に狂い咲きした櫻か
秋に咲く種類の櫻だと思ってしまう。
その上に日本にはヘボン式表記と言う奇妙なローマ字
表記が存在していて、外務省はパスポートの
ローマ字表記を訓令式では受け入れずヘボン式
でしか承認しないのでヘボン式に則れば
ギリシャ語の表記の様にKOSMOSとなり
フランス人には何も見えない。

このように書いているといかにコスモスを
フランス語で訳す事が大変なのかという事だけで
このブログも終わってしまいそうなのでひとまず
ここでこの話は切り上げてフランス語には
出来なかったので思い切ってフランソワロゼが
書いた全く別の歌詞を書いておこう。
この訳詞どおりのフランス語で僕は歌っている。

題名はcosmosとしてまず宇宙を思い浮かべて、
その空間で我々をつないでいる愛について
書かれている。以下がフランス語の日本語訳詩。
勿論CDのブックレットにはフランス語と共に
この日本語詩も載せてある。
ブックレットの写真は太陽を中心とした太陽系惑星の写真。
カラーだとこの写真もっときれいなのだが。

cosmos

愛はどこへ行くの 消えてしまうとき
無くなってしまったら 
いつかどんな形で戻ってくるのだろうか?
水は氷になったり蒸発したりして何処かへ行ってしまう
熱すぎたり、冷たすぎたり、でも愛は何処へ行くの
チョウチョのように繭の中で姿を変えるの?
古い塔の中で生き続けている亡霊の様になるの?
愛も写真のアルバムの中で黄色に変色するの?
でも愛は何処へ行くのだろう?
あの日の愛は

目の前に広がるこの美しい雲を
空は覚えているのだろうか?
雲は空に描いた絵を覚えているだろうか?
海の中に消えて行く水は
源の泉のことをいつまでも覚えているのだろうか?
もう想い出もなく、後悔もなく
僕たちが一緒に暮らした街に今君は居ず
僕は一人で歩いて行く

でも愛は何処へ行くのだろうか?
苦悩の中で姿を変えるとき
二つの傘を取り替えるように
取り替えられるのでしょうか?
どうなるんだろう?
愛がほとんど形をなくしてしまったとき
僕の心は何処へいくのだろう?
時の流れに君の気持ちが消えて行くとき
風と共に季節が変わって行く様に
愛も姿を変えて行くの? 消えてしまうの?
年老いた役者が自分の名前すら覚えていない様に
火が消えたとき 優しさが残る木目に
灰で書いた文字が浮かぶ
でも愛は何処へ行くの?
僕たちを燃やした愛は

目の前に広がるこの美しい雲を
空は覚えているのだろうか?
雲は空に描いた絵を覚えているだろうか?
海の中に消えて行く水は
源の泉のことをいつまでも覚えているのだろうか?
もう想い出もなく、後悔もなく
僕たちが一緒に暮らした街に今君は居ず
僕は一人で歩いて行く


この歌の録音の時にフランソワもパトリックも
フランス人がスタジオにいた。
この歌を聞きながら泣いていた。
さだまさしのコスモスも聞くと涙を流す日本人は
多いと聞く。
全く違うフランス語になってもやはり涙を
誘うのは曲に何かそのような要素があるのかしら
と思ってみたが、フランス語バージョンを聞いて
泣いたと言う日本の人はいないしその反対も
然りであるとするとやはり歌詞がその要素を持っていて
それは偶然でしかないと今のところ思っている。

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