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2007年10月 8日 (月)

京都の家

暑い夏もいつの間にか何処かに行ってしまい
朝夕は涼しくなってしまった。
夏の大好きな僕にとっては涼しくなったというよりも
なってしまったと少しの気持ちの不満を
この一行に込めてみた。
今年夏、パリは冷夏で8月半ばも連日18度という日も
多く薄手のコートで過ごしていた。
その上雨も多くて憂鬱の極限状態の中、
日本に着いてみると今度は38度という
こちらも観測史上何十年ぶりとかという猛暑で一夜にして
20度の温度差の中で引っ越しという仕事(?)が待っていた。
僕は日本に戻ってくると京都の小さいマンションを根城に
滞在中は動いている。遠くに出かける時はホテル生活で、
気軽さが快適でたまに戻ってくる日本の滞在によくあっていた。
それがいつの間にか京都にいる時は京都人に還ったような気分が
し始めてわずかの間でも昔からの京都人として過ごしたいと
いつの頃からか思い始めていた。
それは歳を追う度に強くなりやがて大きな願望として
自分の存在に必要不可欠なもののように感じるようになって
どうしようもなくなって来た。
京都人として過ごすためにはまず京言葉をきっちり話しもちろん
伝統的な京都の家に住まなければならない、
少なくとも僕の思いの中ではこのような法則が出来てしまった。
京言葉は幸い長いフランス生活の間にフランス語の植民地に
ならず僕の身体の中のカプセルに閉まっておいたように
残っていたのでそれに磨きをかければいいだけで思う様に
操る事が出来た。
しかし家の方はそう簡単にはいかず周りの人にも
声をかけてみたが何の反応も得られず思いが満たされないまま
数年が経ち僕の生活にも少しずつ変化が出て来た。
パリで録音したCDが昨年発売され事務所も東京に出来て
日本へ帰る事が多くなったのを機会に思いを遂げようと
今年の4月、日本公演を済ませたあと早速本腰を入れて
<家>を探し始めた。
無論貸して頂く家をである。
探し始めてみると以外とまだ京都には町家が多く残っているのに
気がついた。町家と書いたがこれは近年の言い方で
<おばんざい>同様、僕の子どもの頃には普通の会話では
使わなかった言葉なので初めて聞いた時にはどのような家をさす
のかわからなかった。特に僕の生まれ育った上京区西陣界隈には
むしこ窓をあしらった江戸時代に出来上がった様式の家が
多く残っている。この虫籠窓のほとんどは中二階の様に
なっていて小さい頃には生糸などを竹竿に吊ってここで
乾かしている家が多くあった。
虫籠窓の由来は大名行列の際2階から
見下ろせない様に低く通りも見えにくくするための窓として
作られたらしい。
溝口健二の近松物語に出てくる京都の町の風景にも
この窓付きの家が並んでいるのが見える。
僕の生家は上七軒という京都では一番歴史がありその上、
芸妓はんの芸が一番格があると言われた花街の真ん中に
あったのでその家の造りも明治初期のお茶屋仕立ての家で
表は格子窓、中は吹き抜けの台所に、煮炊きもののための
おくどさんがあり、形の良い松の木が真ん中にある中庭の
廊下づたいに2階建ての離れ座敷があり、その後ろに
まだ大きな裏庭があって背の高いシュロの木が
黒塀の塀越しに何本も立っていた。
このスタイルの家にはむしこ窓はなく2階は高くて
欄干があり葭簀(よしず、葦を編んで作った簾)が
掛けてあった。
今でも上七軒や祇園町のお茶屋に見られる家の形で、
この他に明治末期から昭和の初めに建てられた
二階建ての建物も現在町のあちこちに見られる。
でもいざ本気になって探し始めるとあちこちにある割には
なかなか貸し物件は見つからず町家協会、町家保存会その他
この種のいま大流行りの色んな町家に関わる所に顔を出し
登録して歩いたが紹介される家のほとんどは小さかったり
配置が悪かったり路地の奥だったりと気に入らない。
なまじ町家で育っただけに近年の町家の流行に誘われて
地方からおいでになる方々とは違い家の前に立っただけで
その家の造りから住んでいた人の職業までもある程度想像が
ついてしまうので自分にあう家となると実に難しく
時間が経ってパリへ帰らなければならない日が近づいてきた。
もう見つからへんわ!と諦めかけていたら偶然若いご夫婦で
経営してられる町家専門の不動産屋を見つけて入った。
京都出身の若いお二人は真剣に僕の勝手な話に
あきれる様子も無く耳を傾けて聞いて下さった。その数日後に
<ワサブローさん、一軒ありまっせ、A級どっせ>と
連絡が入った。
僕のマンションから徒歩10分くらいの所にある大正末期に
建てられた2階建ての仕舞た屋で3軒同じタイプの家が
並んでいた。
勿論僕の生家よりも築年数は新しく,おくどさんこそないけれど
京都の家のなごりは十分に残っている。一番奥にはつぼ庭があり
その周りを半円に廊下が走って突き当たりにトイレ
(お便所という方がふさわしい)がある。
世紀末<1800年半ばから1900年初頭>が
こよなく好きな僕としてはちょっと新し過ぎる時代のものだが
それでも1920年代アールデコ、大正ロマンの時代であって
これも悪くない。表のガラス戸にはダイヤガラスが
入れてあり縁先のガラス戸には建設当時の歪みのある
僕の好きな地模様のある古いガラスが入っていた。
気に入って貸して頂きたいと申し出たら身分証明書と収入証明、
それに保証人をつけて査定の後に決まるとおっしゃった。
フランスでは身分証明書は要るが保証人はいらない。
そのかわり家賃の4ヶ月の給料証明が必要となる。
僕たちアーチストにはこの給料証明は大変難しいもので
高級サラリーマンの候補がいると必ず負けてしまう。
日本では以前VISAカードを手に入れるのに
大変な思いをしてやっと手に入れられた想い出がある。
日本ではダンサーと歌手が一番社会の信用が無いといわれた。
やはり河原乞食の伝統かもしれないと思っている。
もちろん定期収入のない僕の様な仕事の人間には
年間収入提出という超えにくいハードルもあるのだが。
ともあれ査定は合格してこの大正時代の家を貸して頂く事になり
いままで根城にしていたマンションからこの家に歩いて10分の
ところをそれでも大きなトラック1台の引っ越しをした。
この京都の家に似合うフランスの家具などもパリの自宅から
送ったために8月9月と2ヶ月に渡り引っ越しが続き、
それも猛暑の中で行った。
3年前にパリの中で引っ越しをしたときもうしばらくは
段ボール箱の顔も見とうない!とおもっていたのに
今回はそのとき以上の段ボール箱の数があった。
10月に入ってその恐ろしい数の段ボール箱も
家から一つづつ消えて行き、やっと少し家の中も片付いた。
自分の好きな古い建具を京都夷川にある建具屋さんで買い、
夏の間敷いていた藤筵<とうむしろ>もかたずけて障子も入り、
パリから届いた30年来手放した事の無いランプに灯をいれて
愛用の机の前に座り、いまこのブログを書いている。
長い間忘れていた新しい畳の匂いが懐かしい。
町家に住むという事はその家の息づかいにあわせてそこで生活を
するという事で、決して自分の都合のいいように
その家を合わせようとしてもだめだと
二十歳まで本物の町家で育った経験のなかでよく知っている。
夏は暑く冬は寒くと季節にあわせて生きて行くと言う事だろう。
これでこれからは本当の意味での和洋折衷を生きる事になる。
18世紀のパリのアパートと20世紀初頭の京都の家、
全くコンセプトが違う二つの生活との中で身体がどのように
反応して行くかちょっと楽しみである。
きっと自分の歌も変わって行くに違いないと
様子をうかがっている所である。

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