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2007年7月14日 (土)

7月14日と巴里祭

初めてフランスに来た年、
フランス人にパリ祭はどこで行われるのか?と尋ねた。
尋ねられたフランス人は怪訝な顔をして
<パリ祭,fete de Paris?>とは何のことかと尋ね返してきた。
僕は<このおっさん、パリ祭も知らへんのか、どこの田舎の
人や!?>と思って、いろいろ知っている限りのこの<パリ祭>
のわずかな知識を屈指して説明をしたがなかなか
わかってもらえず、もちろんその当時の僕のフランス語の語彙の
なさにも多いに原因があったのだが、最後に
ルネ・クレールの映画、日本語のタイトルが
<パリ祭>の話を出した。
そのおっさんはうん〜と唸りながら<あっ!キャトルズジュイエ
=quatorze juillet 7月14日!でしょ!>と叫んだ。
僕は<quatorze juillet ? 7月14日 てなんやろ?>と
思ったがその人は<ははは!と笑って、何?7月14日のことを
日本ではfete de Paris,(日本語の直訳はパリの祭り)
というのか?まあそらそうかもしれんけど、
これはパリだけの祭りと違うてフランス全土、
全部のフランス人の祭りなんや>と言ったことを
良く覚えている。今日は7月13日、明日は14日,
いわゆる日本でいうパリ祭、
7月14日はフランスの革命記念日。
1789年ルイ16世の統治下のパリで不満を爆発させた民衆が
当時旧体制支配のシンボルとされていたバスティーユの牢獄を
襲撃した日で、その日を境にフランスは共和制の道を進み一旦は
ナポレオンの台頭で王政が復活するものの今のフランス共和国の
基礎が築かれた日とされ1797年より7月14日は
革命記念日とされた。
日本のほとんどの祭りは豊穣祭や疫病の退散を
神に祈る祭りなので特に農業国であるフランスのパリ祭であれば
野菜やブドウの収穫を祈願あるいは喜ぶ祭りのように想像される
日本の方もあるだろうがこの7月14日は
軍隊のパレードの祭りである。
1880年〜1914年まではロンシャンの広場で、それ以降は
ドイツの占領下にあった第二次大戦中1940年〜44年の
4年間パリ祭がなかった時期をのぞいてパレードの場所は
シャンゼリゼ通りに移された。
1974年にはバスチーユ〜レプブリック広場、
1975年はナシオンの広場に面したクールドヴァンセーヌ通り
1976年には再びシャンゼリーゼ大通り、
1977年エコール・ミリテール、1978年シャンゼリーゼ、
1979年レプブリック広場〜バスチーユ、
1980年にシャンゼリーゼ大通りに場所が戻ってからは
ミッテラン大統領、シラク大統領それに
今年のサルコジー大統領もシャンゼリーゼ、いわゆる凱旋門から
コンコルド広場までの4kmをパレードの場としている。
当日はフランスに有る陸,海、空軍の軍機、兵隊の
パレードが行われる。
空では最新の軍機のデモストレーション+大空に
青白赤の交差したラインを描くなどのショーがありシャンゼリゼ
通りには何百の異なる部隊の軍隊、消防隊、警察隊に加えて
いくつものフランスを代表するそれぞれの部隊の伝統的な
衣装に身を包み誇り高く歩く軍人や騎馬兵、戦闘車、
オトーバイに乗った美しく,勇ましい男たちの(このごろは
女性も多くいる)行進を見ることが出来る。
テレビで見ているとそれぞれの部隊が通常どのような活動を
しているのかが解説でよく解る。
警察のオートバイ隊はBMWとYAMAHAに乗っている。
今年、サルコジー新大統領は歴代の大統領が行って来た
伝統的な演説をやめる他、特に国家、国民のために亡くなった
2000人の軍隊、消防隊員、警察官に敬意を表して
大統領官邸のガーデンパーテイにその家族たちを招待する。
それに今年のパレードには初めてユーロッパ共同体の26カ国
の軍隊の行進もありとくにこの機会にヨーロッパ共同体の
重要さを国民にさらに世界に向かって発信しようという
<サルコ>の意図である。ヨーロッパ共同体の、首相、議長を
初めその国々の重要人物も初めて多く訪れる予定で
行進の終着場所コンコルド広場のVIP観覧席はこの革命記念日の
歴史に新しい名前を刻むことになる。
そのパレードには今年初めて飛んだ日から100年を迎える
レオナルド・ダビンチ考案とされる、ヘリコプターも空を飛び
夜には始めての試みとしてミッシェル・ポルナレフの無料
コンサートがシャンドマルスの広場で行われる。
サルコジー大統領は今年の7月14日はフランスの、
ヨローッパの発展、安全、平和のシンボルとなり
何よりも家族で楽しむ国民の祭日としたいと
表明していた。
日本では14日の夕方3時頃からきっと実況中継があると
思うので興味のある方は見て頂けるだろう。
明日は朝8時からパレードの実況生中継とテレビが言っていた。
いまパリは14日の午前1時になっている。
数時間前までパリの街のあちこちにある消防署の中庭で
ダンスパーテイが行われていた。花火の音も時折聞こえてくる。
一つの輪になって踊る日本人の盆踊りとは違って
フランス人たちはカップルで踊る。老いも若きも踊る。
とにかく踊るのが好きな人たちだ。
この夜のバル(BAL,舞踏会と訳すにはちょっと違うだろうけど,
街の舞踏会でもある)ではアコーディオンが聞こえ、
おもいっきり古い歌も歌われる。
ダミアのピアフのマリーデユバのそしてフレエルの
青いジャヴァ、アコーデイオン弾き、ちじれ毛の男、
サンジャンの恋人、このパリ祭の夜の舞踏会には
今も昔もミュゼットがよく似合う。
この13日の前夜祭の様子が1932年に
ルネ・クレールが作った映画<7月14日>の
舞台になっている。この映画の邦題が<巴里祭>と
付けられ、可愛くてきれいなアナベラの人気で
映画は日本でも大ヒットした。
それ以後7月14日は日本人には
<パリ祭>の日となった。
リスゴーティが歌ったこの映画の主題歌
<巴里のあちこちの町内では>も邦題は<巴里祭>
となってフランスでも日本でもヒットして
日本ではいまだに歌われている。
この邦題<巴里祭>はたぶんに意訳だが僕は気に入っている。
何となく情緒がありしゃれていて,
きっとその当時の日本人には
巴里という字を見るだけで胸がときめいたのだろうから。
14日の夜は毎年恒例の花火大会がエッフェル塔と
シャイヨー宮のあたりでこの日の締めくくりに開かれる。
フランスの花火の歴史も古くルイ14世も花火が好きだった。
日本の方が遥かに豪華絢爛だと30年前に初めて見た時には
感じたものだがこのごろは随分フランスの花火も色んな
テクニックを盛り込んで大掛かりに華やかになっている。
2年前にフランス人の友人に誘われて初めて
エッフェル塔の近くまで花火を見に行った。
京都の祇園祭の宵山以上の人で大変な思いをした割には
セーヌ川河畔の大きなプラタナスの並木に邪魔されて
良く見えなかった思い出がある。
ポンヌフ橋からはエッフェル塔がよく見えるので
花火もきれいに見ることが出来る。
ただフランスでは何事も日本のように時間通りには
始まり終わらないのでいつ始まるかわからない花火を待って
橋の欄干によじ上っていなければならない辛さは
がまんしなければならないけれど。
明日、僕のシャンソン仲間のフランソワの家で
クスクスパーティをするから来いと誘ってくれた。
彼らはモーリス・シュバリエが生まれた下町メニルモンタン
に住んでいる。そこは結構高台になっている所なので
エッフェル塔もよく見える。
きっと花火もよく見えるだろう。
食事の後コーヒーを飲みながら。
パリ祭が終った翌日多くのフランス人達は
バカンスに出て行くだろう。
パリの街がだんだんと静かになっていく。
フランス革命と7月14日のパレードの歴史に
興味のある方のために
日本語とフランス語でのサイトのアドレスを載せておく。
宜しければどうぞ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/フランス革命
http://revolution.1789.free.fr/
http://fr.wikipedia.org/wiki/D?fil?_militaire_du_14_juillet
http://ja.wikipedia.org/wiki/フランス革命記念日

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