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2007年7月28日 (土)

モンマルトルのラパンアジル

先日パリへ遊びに来られた知人をお連れしてモンマルトルに
ある、ラパンアジルというシャンソンの店へ久し振りに
出かけた。この店の名前はフランス語で
au lapin agile 、ラパンはウサギのことなので
直訳すればはつらつなウサギとでも
訳しておこう。きっとこの店の性格から考えると
agile<鋭敏、溌剌、回転の速いなど>というこの店の名前に
使われているフランス語には、シャンソン特有の言葉遊びや
歌詞の中の言葉の裏に隠されている別の意味を含んでいる
事が想像出来る。上質なシャンソンの歌詞には韻がきちんと
踏まれている事が多く、その上に二重,時には三重の
意味を含む言葉使いをすることも多く、もちろんアルゴ
(argot)といわれる隠語、スラングの種類からその時代を
象徴する言葉や色んな言葉遊びもふんだんに入っている。
この微妙で色んなエキスが重なって味付けされた料理の
様な妙味を味合うにはそれなりのイマジネーションが
必要になり、したがって五感もフルに回転しないと
いけない。そんなところからこのagileという名前も
ついているのではと思ったりした。
このシャンソンの店の歴史は古くて19世紀末に
<au rendez-vous des voleurs ,泥棒たちに会える所>
という名前で始まり、<le cabaret des assassins,
人殺したちのキャバレー>になりそして1886年に
フレンチカンカンの踊り娘だったアデル・ドウセルフに
買い取られ<a ma campagne私の田舎で>
という店になった。
彼女の得意料理がウサギのソーテ(炒め物)だった
ところから当時の風刺画家だったアンドレ・ジルが
鍋から飛び出ているウサギの絵を描きそれをこの店の
看板にした。そのときジルのウサギ<lapin a Gil>を
文字って<lapin agile 発音は一緒>ラパンアジルとなり
現在に至っている。このジルが描いたその当時の看板は
モンマルトル美術館に保存されている。
1903年にトウルーズ・ロートレックのポスター画で
おなじみの黒いマントに赤いマフラーの風刺歌手で
作家のアリスティッド・ブルアンがラパン・アジルを
買い取ったのち、支配人をしていた
フレデリック・ジェラールに遺贈する。
フレデ父さんとみんなに親しまれたフレッドは
色んな趣向を凝らしラパンアジルは新しく生き返り、
自らギターを鳴らしチェロを弾くフレデ父さんを
囲むようにモンマルトルのラーボエーム〜放浪者達が
集う場所となった。毎晩フレデは歌い、
そこに集まった人達も歌ったり詩を朗読したり
瞬く間にラパンアジルは芸術家と諷刺歌手にとって
聖堂のような場所となった。
風車小屋が建ち並ぶパリ郊外の田舎村だった19世紀末の
モンマルトルには後にモンパルナスに移り
エコールド・パリの創始者となる画家のピカソ、
モディリニなどをが住んでいた。
ピカソは愛犬フリカを連れてラパンアジルのテラスの椅子に
腰掛けてフレデ父さんを描きその娘のマルゴも絵に描いた。
コラヴァケールの持ち歌<フレデ>はこのフレデ父さん
のことを歌っている。
モンマルトルにいた多くのアーチスト、ルノワール、
ユトリロ、ブラック、詩人のマックス・ヤコブ、
フランシス・カルコ、マルセル・プルーストも
この店の常連だった。詩人のアポリネールは
この店で画家のマリー・ローランサンとの
逢い引きを楽しんだが有る事件に巻き込まれそれが原因で
マリー・ローランサンとの恋ははかなく終わってしまう。
ミラボー橋の上から流れゆく緑色のセーヌ川を見ながら
<ミラボー橋の下セーヌは流れる 我々の恋を 
思い出さなくては行けないのか 
喜びは常に悲しみの後に来た 
夜よ来い 鐘よ鳴れ 日々は去り 私は残る>と詠った。
アズナブールの<ラ・ボエーム>の歌の世界を生きた
ラパンアジルは今日、昔日を懐かしんで戸を開ける
往年のシャンソンフアンやヨーロッパ各地の観光客
それに大勢の日本人観光客で賑わう観光スポットとして
生き長らえている。
僕は34年前、パリに住み始めた頃初めてここを訪れた。
2月の寒い日で数日前に珍しく大雪が降りモンマルトルの
あちこちに掻き揚げた雪が積まれていた。
それ以来パリには積もる様な雪は一度も降っていない。
ロートレック、モディリアニ、アポリネールなど大好きな
パリ19世紀末の象徴の一つとしてのラパンアジルの事は
日本で知っていたのでこの歴史的建造物の敷居をまたぐ日を
楽しみにしていた。この雪の美しいモンマルトルの風景と
共に期待が裏切られたこの日は
記憶にいつまでも残っている。
そこにはプルーストもプレベールもコクトーもいなかった。
屋根裏に残されていた容器から見つかったひからびた
さくらんぼには、初夏の日さくらんぼを摘みにいく太陽に
照らされた若者たちの声は聞こえず、古ぼけた映画館で見る
懐メロの歌謡ショーか民謡酒場のような数々の歌と歌い手は
日本の同じ様な小屋を連想させた。
それから何度か日本からの知人にせがまれて仕方なく
出かけたが印象は増々悪くなるばかりである。
その上にお連れした日本の皆さんは
誰一人歌の合間に居眠らなかった人はいない。
これがまた一応体裁を構う京都人とパリ人の両方の
文化の中で育った僕としてはかなり辛い事で
何度ももう絶対いかんとこ!とその時は思うのだがやはり
<せっかくパリに来たんやから,
シャンソンを聴いて帰らんと!>
という友人、知人の懇願にまけて行く事になってしまう。
京都に来た人が祇園コーナーで舞妓の実演踊りを見るのとは
違い、伝統芸能でも大道芸人の実演でもない<シャンソン>は
何処そこの店でやっているものではない。
そのかわりテレビでもラジオでも1日中何処の番組でも
フランスのシャンソンはかかっているし
パリのいくつかの劇場では色んな歌手のコンサートを
やっている。これは東京の事情と同じ事で、
特に日本人の好きな日本人の描くパリのシャンソンというものは
日本以外何処にもないものである。
いままで何人もの方たちとラパンアジルにお付き合いした。
皆さん1週間ほどの短い日程で来られるためスケジュールが
ハードな上に時差がとれるまでにお帰りになるため食事の後に
出かけるラパンアジルはゆらりゆらりと舟をこぐ場所となる。
ここの店は小さくて歌い手は目の前で歌っている。
その目の前で皆さん1曲目が始まって室内が暗くなった
とたんにこっくり、こっくりと始められるのである。
ベンチ椅子に並んで腰掛けるために枝に止まった鳥
(小鳥と書きかけたがちょっと抵抗があるので。。)
のように並んであたかも木の下においしいものが
落ちているように下を向いたままで身体が揺れている。
1曲終わって拍手をする時は不思議とどなたも目を開けて
拍手をなさり、また曲が始まると居眠りも始まる。
僕はその都度せめて一人ぐらいきっちり目を開けて
聞いてんと恥ずかしいと思ってあたかも聞き惚れている
様な振りをして身体を乗り出して聞く事になる。
下を向いてられるだけならまだいいがそのうちにいびきが
聞こえてくる。皆さん白川夜舟状態で
静かな部屋にピアノと歌だけの中ふっとした
音符の合間にズウーズウー、ググーー,フウーと
聞こえてくる。それもかすかにではない。
そうなると僕は歌い手や他のお客の視線がいびきの主に
行かないように咳払いをしたりして一生懸命注意を僕の方に
促す事に専念しなければならない。
そうして曲が終わると皆さんも目を覚まし拍手をして
また始まるといびきも始まるという具合で1ステージが
終わる頃には僕は神経がくたくたになってくるので
皆さんを説得して退散することになる。
もちろん疲れも何も忘れるくらいに素晴らしいものを聞かせて
頂けるのであればきっと眠気も逆にすっ飛んで我を忘れて
聞き入ってしまうのだろうから問題はこっちの日本の人に
ばかりあるわけでもないとはわかっているが。
歌というアートがクリエートと繋がっている世界で
歌い手として生きている僕にはラパンアジルはパリの
ワーストテンに入る場所として位置づいてしまった。
何年もこの業から解き放たれていたところ先日どうしても
また行くはめになってしまった。どうにかしてやめるように
言ってみたが聞き入れては下さらず入ってしまった。
店内には程々に人がいて一応満席だった。
手前のベンチシートに4人1列に並んだところで
室内の照明が消えて薄暗くなり歌が始まった。
僕は久し振りだったので古い船乗りの歌を聴き始めた。
そして隣を見ると頭が下がっていた<えっ、やっぱり>と
思ったが歌が進むに連れて頭は下がる一方である。
1ステージの最後の歌ではやはり枝に止まった鳥のように
3人ともと頭がさがり僕一人目を大きく開けて歌い手の
注意を引くようにしていた。
なんとか持ちこたえて3人目のステージになった。
若い男性歌手がギターを弾いて歌い始めた。
ギターのキーと声のキーが
微妙に違い(というか音程がすこぶる悪いだけなのだが)
僕も聞き惚れる態度はさすがにとりにくかった。
急に彼が裏声を出し始めた。その音程がまた非常に
悪かったのでさすがに下がっていた3人の頭がすーっと
上を向いた。皆さんはっきり目をさまされて、出ましょう!
と意見が一致した。
モンマルトルの古いぶどう畑の前に出た。
7月の夜まだ薄い群青色が残るパリの空が目の前にあった。
室内の酸欠状態から胸いっぱいに空気を吸い込んだ。
自由とはこれか!と叫びたい開放感があった。
もう絶対ラパンアジルには行かないぞ!
ウサギは食べる方が絶対いい!

Lapin_2

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日記」カテゴリの記事

コメント

はじめまして。
バレンタインの事を探しているうちにワサブローさんのblogにたどり着き、少しですが拝見させていただきました。
とてもおもしろいblogですね。

私はlapin agilから丘を越えて5分のところに住んでいますが、外観を見ただけで入ったことがありません。
なので、ワサブローさんの記事はとても興味深く、笑いながら読ませていただきました。
これからも楽しみにしています☆

投稿: 夜日子 | 2008年1月28日 (月) 21時32分

夜日子様
初めまして。
18区におられるんですね。
モンマルトル界隈もこのごろ変わったなあと
たまに友人につきあって行くたびに思います。
どうぞよろしく。

投稿: ワサブロー | 2008年2月18日 (月) 06時41分

ワサブロー様 初めまして!他を検索していましたら ワサブロー様のblogに。私は 逆に 素晴らしい時に ラバンアジルに行け 一所懸命そこを守っていらっしゃる方々の歌を聴く事が出来ました。
6年位前には ギター一本で バルバラのゴッティンゲンを 弾き語りされた女性の歌は 苦しみを知っている 女性の美しい歌声に魅了され 大きな収穫の中 日本に帰りました。

その時 若手も育てなければ成らないのでしょう。
お二人(男女)程 が おっしゃる通り まだまだ 歌とは言えない 歌を アジア人ばかりのお客様を相手に戸惑いながら 歌っていらしたのを 記憶しています。

あれから 6〜7年…万一 今 彼等がメインで歌っていらしたら …あ〜(>_<)かもです。

私は 三度感激出来る出演者でしたので 幸福なのですね。

今でも あの女性のギター弾き語りの声は 忘れません。

又 70才〜75才位の 女性の 紡ぎ唄…だったと思いますが 何のパフォーマンスも要らない 指先から 愛が沢山こぼれる…イエ 溢れると書いた方が良いでしょうか! 素晴らしい 優しい 本当の歌でした。

私が沢山頂いた感動が今 ワサブロー様が書かれた様に、そこに 無いのなら 寂しい限りです。

では 遠いフランスで 頑張っていらっしゃる ワサブロー様!
どうぞ ご自愛の上 ご活躍下さい。
万一 広島にお越しの事ありましたら 是非 お知らせ下さい。

日本は ここ数年沢山の出来事がありましたが こうして 生きさせて頂いている事に 神様に感謝!致します。

かしこ 〜Mitsuko〜

投稿: Mitsuko | 2014年1月 2日 (木) 23時29分

ワサブロー様 初めまして!他を検索していましたら ワサブロー様のblogに。私は 逆に 素晴らしい時に ラバンアジルに行け 一所懸命そこを守っていらっしゃる方々の歌を聴く事が出来ました。
6年位前には ギター一本で バルバラのゴッティンゲンを 弾き語りされた女性の歌は 苦しみを知っている 女性の美しい歌声に魅了され 大きな収穫の中 日本に帰りました。

その時 若手も育てなければ成らないのでしょう。
お二人(男女)程 が おっしゃる通り まだまだ 歌とは言えない 歌を アジア人ばかりのお客様を相手に戸惑いながら 歌っていらしたのを 記憶しています。

あれから 6〜7年…万一 今 彼等がメインで歌っていらしたら …あ〜(>_<)かもです。

私は 三度感激出来る出演者でしたので 幸福なのですね。

今でも あの女性のギター弾き語りの声は 忘れません。

又 70才〜75才位の 女性の 紡ぎ唄…だったと思いますが 何のパフォーマンスも要らない 指先から 愛が沢山こぼれる…イエ 溢れると書いた方が良いでしょうか! 素晴らしい 優しい 本当の歌でした。

私が沢山頂いた感動が今 ワサブロー様が書かれた様に、そこに 無いのなら 寂しい限りです。

では 遠いフランスで 頑張っていらっしゃる ワサブロー様!
どうぞ ご自愛の上 ご活躍下さい。
万一 広島にお越しの事ありましたら 是非 お知らせ下さい。

日本は ここ数年沢山の出来事がありましたが こうして 生きさせて頂いている事に 神様に感謝!致します。

かしこ 〜Mitsuko〜

投稿: Mitsuko | 2014年1月 2日 (木) 23時30分

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