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2007年5月 9日 (水)

パリで歌いました

昨晩,パリで歌った。
このまえのブログに書いたようにパリ10区にある
theatre des bouffes du nordで3日間行われたjazz nomade
というジャズフェスティヴァルの最終日にトリで出演した
Denis Charolles et sa compagnieというジャズマンの
グループに招かれて出演した。
このドニのグループはブリジット・フォンテーヌともよく
共演している人気のあるミュージシャンで特異なキャラクターと
すばらしい音楽性とオリジナリティでインテリ層や若者など
幅広い層に人気があり昨日も早くからチケット650席が
ソルドアウトでそれでも窓口に押し寄せた人達のために急きょ
クッションをステージ上に並べて3−40席程劇場が増やした
のでステージは狭くなり目の前にいる人の前で歌う事に
なってしまった。
久しぶりのフランスでのステージでしばらく忘れていた日本との
違いがいたるところにありおもしろく、すこしいらつきながら、
日本でとは違う緊張の1日を過ごした。
コンサートは夜の8時45分に始まり2組の前座のあと僕たちは
10時からの予定になっていた。この10時からというのは
決して特別な時間ではなくフェスティバルや小劇場などで複数の
コンサートがあるときは真打ちは10時という事がよくある。
僕も数年前にパリで小さい小屋に2週間出ていたときは毎日夜
10時に開幕だった。
日本のように夜は足下が危ないので出られないとか夜は旦那が
帰ってくるので出にくいとか祭日は家族がいるので出づらいとか
そんな声は聞いた事が無い。
旦那が居るなら一緒に来るだろうし家族がいれば家にいる
人達だけで適当にその夜は過ごすだろうから。
2日間スタジオでのリハーサルの後当日は3時半にゲネプロが
予定されていてフランス語でいうバランス(balance)いわゆる
サウンドチェックは3時と事務所が伝えて来たので3時に
劇場に入った。

0  一応スタッフもミュージシャンもその他一緒に出る2人の
歌い手も来ていて待つ事2時間サウンドチェック+リハーサルが
始まったのは5時過ぎやっと僕のチェックが終わったのは8時前
になっていた。フランスのフェスティバルなどでは夕食は
楽屋近くのホールにパンやスープ、サラダやペースト類に
デザートのお菓子,タルト、フルーツ飲み物コーヒーなど
一杯用意してあるので何も事欠くものは無い。
もちろんワインもビールもある。
日本でのお弁当よりも量も栄養価も豊富でデザートまで
きっちりある。
昨日はおもしろい事にマッサージ師が一人来ていて出演者は
随意に肩をもみ体全体をほぐしてもらえる用意もなされていた。
僕にも音楽事務所の女性が(パリのこの種の職業の女性の
ほとんどが若くて美しい。おしゃれで活発で感じがよくて
仕事が皆テキパキとそれに早い)
<マッサージ(ちなみに兄ちゃんでした)やってもらう?>
と聞かれた。勿論いつものように極度の緊張があるが
それをマッサージでほぐしてもらおうという発想には
到底ならなくて御断りした。
余談だがこの古い劇場、ブッフデユノールで
ダミアも何度も歌った。

1_2 廃墟に残ったふるい劇場の様な内部が僕は好きで一度はここで
歌いたいと思っていたので昨日その思いが叶えられた。
僕の出番は3曲目一曲と7曲目1曲とと8曲目3曲それに最初の
アンコール1曲目となったていた。
本番は20分おくれて9時過ぎに始まった。
これもフランスでは当たり前のことで特にパリでは日本のように
始まる30分も早い人は1時間もまえから会場に来る人は
誰もいない。
前座の演奏が延びにのびてやっとドニたちの演奏が始まったは
11時を回っていた。
日本のコンサートにも来てくれたヘヤーデザイナーで
スタイリストでもあるパリ在住のまさるさんがずっと
つきっきりで身支度を手伝ってくれた。
僕は1曲目にアポリネールの詩ミラボー橋をアカペラで
歌う事になっていた。
アバンギャルドのジャズ音楽祭の真ん中に古典正統文学の
象徴の様な詩を挟む事はドニたちにとって意義のある事であり、
いかなる新しい事も伝統の基礎の上にこそなりたっており、
音楽と文学は常に共存しているものであるということを
みせるのは多いに重要であるという思いがあっての選曲なので、
僕にとっては大きな役目が課せられていた。

2 まあその役目の事はいわずともジャズの音が充満している中で
突然日本人が出て来てその場の雰囲気とは何の関係もない
<ミラボー橋>を歌うことの違和感がコンサートが
始まってみると思いのほか大きく感じられて
<これは失敗するか、観客を手のうちにつかみ取ってしまうか
の一瞬の勝負>だと思ったところで2曲目が終わって
僕の番が来た。
この劇場は写真でお分かりの通りステージは地面にあり
客席は階段状に
高くなっていて3回までバルコニーも含めてあるので
はみ出した人達はみなステージのフロアーにクッションを敷いて
じかに座っているので僕の足下に大勢の人達が目の前にいた。
上を見上げると10メートルは優にある処まで一杯の人がいて
一瞬足がすくんだ。
今までのざわめきが引いて少し静かになったところに
僕はつっ立った。
Sous le pont Mirabeau coule la seine と
マイクをもって歌い始めた。
ええ!なんやこれ!?という様な軽いざわめきが聞こえた時
<え〜〜!やっぱり!あかんの!>とドキッとした瞬間、
水を打ったように静かになり誰もその場にいなくなったような
沈黙が会場を包み最後まで物音一つせず,僕は歌い終えた。
失った恋の無念さ、悠久の時の下流れ行くセーヌ川、
ミラボー橋の上に怒りと悲しみにふるえる一人の男が
立っていた。
大きな拍手とブラボーの中で僕はドニの思いを
伝えられた安堵感を味わっていた。
そのあとの日本語でのヌガでは会場全体が揺れるように
僕と一緒になった。
禿鷹の子守唄では隠語それも普通の人が口に出すのは
ためらわれる様なスラングの羅列に会場は大きくわいた。
コンサートは12時に終わった。というよりも
長引き過ぎたので終わった方が良いだろうという結論が出た。
フランスは日本と違って市の劇場であろうが貸しホールで
あろうがコンサートが始まってしまえば1時間や2時間の
超過では誰も文句も言わないしそんな事で怒る人もいないし
この点も日本とは大きく違う点である。
がさすがに前座の時間超過の所為で遠くから来ている人の
電車の時間もあり大幅に僕たちのプログラムをカットせざるを
得なくなり、僕たちも予定の全曲は出来なかった。
当日の模様は後日フランスキュルチュールで放送されるらしく
録音用のマイクが沢山会場に見えていた。
ジャーナリストも多くて大勢のカメラマンの姿も見えた。
僕は久しぶりに故郷に帰った様な気がした。
やはり僕には故郷が2つあるのかと複雑な気分で北駅を横切って
待っていてくれたスタッフと一緒に
夜道を歩いて家に帰った。

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コメント

コンサートの熱気が感じられます!そこに居たかったなぁ!それにしても素敵な劇場ですね。それにワサブローさんのように本当に言葉が分かれば知ることの出来る、深くて豊かな世界があるのですね。御活躍楽しみにしています。

投稿: MarioKano | 2007年5月29日 (火) 14時02分

”The?tre du Nord”で歌われたようですね! その場にいられなく残念!  さぞ、観衆たちは、ワサブローさんの『ミラボー橋〜』『ヌガ〜』に引き込まれた事でしょう!!!   しかも、この劇場は、個性があり、歌手としても、さぞ面白かったのでは…! そして、ワサブローさんの歌う前の心境や後のコメントがとても面白かったです。 
 東京でも、是非劇場で、快適なトークとシャンソンを…期待していま〜す!  

投稿: Tanaka atsuko | 2007年7月 6日 (金) 12時39分

投稿: online games | 2007年7月11日 (水) 16時57分

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