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2007年2月14日 (水)

京都から

先日年の暮れにマスクのことをブログに書いてしばらくブログの
ことを 忘れていた。
というよりもこんなに早く月日が流れていることに気がつ
かなかったという方が正しいのかもしれない。
僕の記憶ではつい2、3 日前に年の暮れという日があって,
年が変わる前にブログを更新して、と
思ってその日のマスクのことを書いたことは覚えているが
それからもう 1ヶ月以上経っているとは全く思いもよらぬ
ことである。
なんてばか な!
毎日今日は何日かも分らずに暮らしているのですか!?
とあきれた 声が聞こえてきそうだが実はそうなのです。
今日が何日かも分らずに去年の暮れから今日まで
暮らして来たのです。
どういうことかと言うと僕 の生活はフランスと日本、
日本の中でも東京と京都という国と地域に別れて存在してい
る。僕にとってこの別々の国には別々の時間が流れ、
またそれぞれの地域にはそれぞれ別の時間が流れている。
極端にいえばそれぞれのところにそれぞれの僕の1年が
あるような錯覚に常に落ちいっているのです。
それぞれの場所の時間はその場所にいる時に流れ
そこを離れている間はあたかも止まっていると思えるのです。
前回日本を離れたのは10月なので今回日本に戻ってきた
時には11月頃でなくてはつじつまが何となく合いにくい
わけなのです。それが急に2月ですと言われてもそれならば
10月からの4ヶ月は何処へ行っ てしまったのだろうと
気持ちが落ち着かない。
その土地の時間の流れが肌で感じられるようになるにはおよそ
1ヶ月以上必要になる。その間に居場所が変わるとますます
情緒不安定になり僕の時計は変調を来してしまう事になる。
不思議なことにこの感覚はフランスと日本、京都と東京
の間にしか生まれて来ない。
日本にいる間に京都と東京以外の土地に出かけて行きた
とえそこで泊まろうとも時間は普通に流れ出発点の時間は
移動中も問題なく進み、帰ってきてもそのまま流れていく
事になる。
昨年少し寒くなってきた京都を後にしてパリに戻り
クリスマスだ新年だと普通と違う日々が流れていた。
そしてまた少し寒いと感じる京都にいまいて
僕にとって日常毎日生きている飽き飽きする
パリの町並みの写真が入れ替わり現れてくる画面の
コンピューターを前にして(京都のパソコンの画面には
パリの写真が、パリのパソコンの画面には京都の写真が
入れてある)画面の中のパリの市場とは違う時間 のながれる
京都でこの文章を書いている。

K パリの近所の市場では山の様に積まれた野菜の彩りが
鮮やかだけれど町のマロニエは裸で寒々としていた。
京都に戻ると彩り鮮やかな野菜の山はないが近所の
北野天満宮の紅白の梅が美しい花をつけ優しい香りが
通り過ぎる人の顔を撫でていく。

今回4月3日に予定されている東京での
ライブでは初めて日本語で書かれた日本の歌を沢山歌う
予定なので選曲と練習のため早々日本に戻ってきた。
谷川俊太郎の詩に武満徹の曲がついている歌や茨木のり子の詩、
服部良一の古い歌など始めての試みである。
U_2 フランスの僕が今まで歌ってきた歌同様にこれらの日本の歌は
良く出来ていてどのように料理しても素材の味はきっちり残る
素晴らしい材料ばかりで僕に一番会うレシピを今考えている
最中だがこれは歌を歌うという作業のなかで僕にとって唯一の
楽しい時間である。
全く手法が違う日本語の歌は恐くて今までなかなか手が出なかった。
フランス語とくらべて声のだし方ももちろん言葉の運び方も
違うので自分で日本語に訳した2、3のフランス語の歌以外は
僕にとって長い間開かずの間となっていた。
フランスでは1曲でも日本語の歌が混ざっているといつも決まって
音響の人に<ちょっと待って、それ日本語ですか?もう一度聞かせて。
声使いが全く違うから>と
何度もチェックされるので話し言葉だけではなくもちろん歌う時も
この2つの言葉は違う発声法の上に発音されているのだと
痛感していたので自分の専門外の日本語の歌にはおいそれと
手は出せないと長い事思ってきた。
それが昨年のコンサートで茨木のり子さんの
<わたしが一番きれいだったとき、吉岡しげみ曲>を
意を決して歌った。
とにかく歌いたいと思った詩で、フランス語の歌の何倍も
練習してステージに乗せてみた。
すると描き方はぎこちないにもかかわらず描いていく人物も
風景もフランス語には出ない色がありタッチがあり言葉の間に
違う時空があり違う時間が流れているのをはっきりと感じた。
その上に不思議な事にフランス語に導かれている
という気さえした。これはフランス語なまりが日本語にみられる
とかフランス語のアクセントが随時日本語に残るとかいうもの
ではなくフランス語に教えられた言葉の生かせかたが日本語にも
無意識に遣われてその結果僕が恐れていた
暗闇の中で言葉を適当に置いていくのではなく
フランス語同様に日本語も自分の手で一つづつの言葉を
掴んで自分の望む場所に置く事が出来た、という気がした。
今回は横着にも、もう少し深みに入って泳いでみようと決心した。
クラゲにさされるか藻に足を取られるかで沈むのは恐いけれど
やってみたいと思っている。
もちろんゲンズブールの歌などフランス語の歌も
沢山歌おうと思っている。
気持のよい<ハーフ>の世界ができれば嬉しいのだが、
パリの朝のbrioche ブリオッシュのパンと
と僕の帰りを待っているプレリードックのタローの顔が
もうすでに懐かしい京都で書いている。

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